いつもここから覗けばおじいちゃんが木を剪定する姿が見えた。
実家の小屋の窓。
この小屋には今でも、唐箕(とうみ)と足踏み脱穀機がある。
祖母が作るきなこが大好きだった。
よく乾かした大豆を、足踏み脱穀機にかけて枝から大豆を取り外し、藁の筵に並べて木槌で叩いて、唐箕に入れ、風を起こして殻を取りのぞく。
おじいちゃんとおばあちゃんと私で、大豆の脱穀をした思い出。
唐箕は小屋の中にあって、殻は窓の外に吹き出されるように設えられていた。乾いた皺のある、でも細くて長いおじいちゃんの手がハンドルをゆっくり回すと木の回転盤が回りだし、がらがらという音と共に唐箕の中に忽ち風が巻き起こる。
窓の外に吹き出された大豆の殻の破片(ごみやチリ)が、中空を舞う。
小屋の中から見ていると、外は明るく眩しい。
大豆の殻の破片は光を受けてきらきらと光り、そしてはらはらと落ちていく、その場面が子供の私にはとても美しく感じられた。
まるで白銀の世界に舞う雪みたいに。
「今見えている光景が光によって別の景色に見えるってなんて感動的。」と初めて思ったのはこの時かもしれません。
Contax Aria / Kodak PORTRA 400